最近、よく耳にする「人的資本経営」。これまでの人材マネジメント手法とは異なり、企業の持続的な価値向上につながる重要な指標といわれています。
この記事では、人的資本経営とはなにかの基本を開設すると共に、なぜ重要なのか注目を集める背景について解説します。また、日本企業が人的資本経営を実践する上で重要となる「人材版伊藤レポート」のポイントを紹介します。
人的資本経営とは?
人的資本経営とは、組織の人員が持つ知識や能力を、投資対象である「資本」とみなす、新しい経営の在り方をいいます。人材の価値を引き出し、持続的な企業価値の向上につなげることが経営の狙いです。
人的資本経営は、従来の人材マネジメント方法に変革を促すだけではなく、投資家からの注目も集めています。人的資本に関する情報は、企業の将来性を判断する指標の一つになり得るからです。
従来の経営と人的資本経営との違い
これまでの経営と人的資本経営の大きな違いは、人材の捉え方です。従来の企業経営では人材は「資源」とみなされ、いかに効率よく配置し能力を発揮するかに主眼が置かれていました。こうした考え方はオペレーション志向であり、人材のより良い使い方を模索しつつも、人材=コストという枠組みで捉えていました。
人的資本経営は、人材は投資であると考えます。人的資本経営の組織では、人材マネジメントは価値創造が目的となり、人材の活用・成長といった点をクリエーション志向で捉えます。
引用元:人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~ 人材版伊藤レポート2.0~
資本経営における国内外の動き
産業構造の急激な変化や、人生100年時代の到来、少子高齢化による労働人口の変化など、個人のキャリア感だけでなく、企業を取り巻く環境も大きな変化を迎えています。
企業が人的資本経営を実現するには、「人的資本の価値を高める戦略」と「人的資本の情報開示」の両輪を回す必要があります。人的資本の価値を向上させる社内の取組を開示し、ステークホルダーと対話をする。そうして得たフィードバックを戦略に反映させるという好循環を作り出さなければいけません。
人的資本の情報開示については、国内外で義務化や法制化の動きがあります。
欧州では、2018年12月に国際標準化機構が策定した「ISO30414」に基づき、企業の情報開示が始まりました。また米国では2020年8月、米証券取引委員会(SEC)が、上場企業の人的情報開示の義務化を行っています。
日本国内では、2020年9月に政府が公開した「人材版伊藤レポート」をきっかけに、人的資本情報開示の重要性が高まりました。続く21年6月には、東京証券取引所が上場会社に求める「コーポレートガバナンス・コード」を改定し、人的資本に関する項目が盛り込まれました。
2022年8月には政府による人的資本経営コンソーシアムの設立総会が執り行われ、22年中に情報開示の指針とするべき方針が政府から発表される予定です。
人的資本経営が注目されている背景
人的資本経営が注目され、経営戦略の転換が発生している背景には、以下の4つの視点があります。
サステナビリティへの関心の高まり
一つは、サステナビリティの高まりといった社会的視点の変化です。米国の経営団体「ビジネス・ラウンドテーブル」では、2019年に従来の株主資本主義から脱却し、顧客や従業員などを含めたすべてのステークホルダーを重視する方針を発表しました。それにあわせ、2020年の世界経済フォーラム(ダボス会議)において、同じようにステークホルダー資本主義がテーマに上がりました。
こうした動きから、従業員エンゲージメントや多様性の尊重、環境保護活動など、財務情報以外の情報がより重視されるようになり、人的資本経営のような、人材をより重視する経営につながりました。
無形資産への関心の高まり
投資家の視線が財務的情報以外に移るなかで、企業価値の評価は非財務的な資本により重きが置かれるようになっています。投資家の判断指標として、「見えざる資産」と呼ばれる無形資産を評価する傾向が高まっているのです。
今の時代、ESG投資に代表されるように、利益のみが企業を評価する指針ではありません。人的資本は、企業の社会との関わり方やガバナンスのあり方を示すものです。企業の成長性を評価するために、投資家からの人的資本情報への開示要求が高まっています。
働き手の多様化
少子高齢化や終身雇用制度の終焉により、企業の人材構造に変化が生じています。時短勤務社員、業務委託、外国人社員など、さまざまな立場やバックグラウンドの人材を抱え、組織の働き方は多様化しています。
こうした変化のなかで、企業は従来の人材マネジメント方法ではなく、一人ひとりの価値観や事情に合わせた経営戦略を実現させる必要があります。
人材版伊藤レポートの発表
人材伊藤版レポートとは、2020年に経済産業省が公表した「持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会」をいいます。「人的資本経営の実現に向けた検討会」の座長である伊藤邦雄氏がとりまとめたレポートでは、人的資本経営の基本的な概念が示され、企業が人的資本経営に目を向けるきっかけとなりました。
2022年の5月には人的資本経営の実現に向けた課題と解決策を取りまとめた「人材版伊藤レポート2.0」が発表されました。人材版伊藤レポートは、国内の実態を踏まえた議論をとりまとめ、企業が人的資本経営を実現する上での有益な内容を記載しています。
伊藤レポートで注目されている3P・5Fモデルとは
「人材版伊藤レポート」は、人的資本経営の理解に欠かせない資料です。人的資本経営の実現に必要な「人材戦略の3つの視点(3P)」と、「人材戦略に必要な5つの要素(5F)」を、「3P・5Fモデル」として示しています。
3P・5Fモデルは、企業が人的資本経営を現場で実現させるために、どのように何を運用すればいいのかをわかりやすく示したものです。
引用元:人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~ 人材版伊藤レポート2.0~
以下に、それぞれについて詳しく説明します。
人材戦略に必要な3つの視点(3P)
「3つの視点(3P)」は、いわば人材資本経営とはなにかを定義するものです。「経営戦略と人材戦略の連動」「As is-To beギャップの定量把握」「企業文化への定着」という3点をもって、人的資本経営を実現できる人材戦略かどうかを、判断し実行に移していくものになります。
1.経営戦略と人材戦略の連動
「経営戦略と人材戦略の連動」は、同レポートでもっとも重要な視点として挙げられています。人的資本経営を実現する第一歩であり、持続的な企業価値の向上には、経営戦略に沿う形で、自社に適した人材戦略を実行させることが不可欠だといいます。
具体的には、以下の7つの項目にKPIを設定し、経営陣が主導して重要な人材面の課題に対してアクションをとることが重要です。
(1)CHRO(Chief Human Resource Officer:最高人事責任者)の設置
(2)全社的経営課題の抽出
(3)KPIの設定、背景・理由の説明
(4)人事と事業の両部門の役割分担の検証、人事部門のケイパビリティ向上
(5)サクセッションプランの具体的プログラム化
(6)指名委員会委員長への社外取締役の登用
(7)役員報酬への人材に関するKPIの反映
引用元:人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~ 人材版伊藤レポート2.0~
2.As is-To beギャップの定量把握
自社の経営戦略実現に向けた人材面の課題が特定できたら、課題ごとに、目指すべき姿(To be)と現在の姿(As is)とのギャップを定量的に把握するというのが、2つ目の視点です。
ギャップの定量把握を行うことで、将来目指すべき企業のあり方との差を可視化することができます。
3.企業文化への定着
3つ目の視点、「企業文化への定着」では、人材戦略の実行が、その企業の社風や文化の醸成に深くかかわることを挙げています。目先の課題にあわせて短期的な施策を繰り返すのではなく、自社が目指すべき企業文化を見据えた上で、人材戦略を実行しなければいけません。
人材戦略に必要な5つの共通要素(5F)
5Fと名づけられた要素は、どの企業も取り入れるべき人材戦略に必要な要素として示されたものです。
1.動的な人材ポートフォリオ
動的な人材ポートフォリオとは、自社の将来目指すべき姿から逆算し、経営戦略の実現にむけ、人材要件の定義や、人材の採用・配置・育成を戦略的に進めるものをいいます。
動的な人材ポートフォリオでは、中長期的に必要となる人材の質と量を整理し、今の状態とのギャップを定量的に明確にした上で、人事政策を実行するべきとしています。また、社員の再配置や、退職した優秀な社員の自社への出戻りを奨励するようなアルムナイネットワークの活用、留学生や博士号取得者の採用等を推奨しています。
2.知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
知・経験のダイバーシティ&インクルージョンとは、企業価値の持続的な向上のためには、非連続的なイノベーションを生み出すことが重要であり、そのためには多様な個人のかけ合わせが不可欠だとするものです。
女性社員や外国人社員など、多様な人材の採用を進めるだけでなく、比率・定着・能力発揮の状況を定量的に把握し、多様な人材が活躍しやすい組織作りに取り組みます。
3.リスキル・学び直し
リスキル・学び直しとは、企業が社員に対し、新しい技術を身に着けさせることで、自律的なキャリア形成を支援することをいいます。経営環境の急激な変化に対応するためには、社員が学び続けることが不可欠です。企業は経営戦略の実現を見据え、不足するスキルを特定し、社員のリスキル・学び直しを主導します。
4.従業員エンゲージメント
経営戦略の実現には、社員一人ひとりが、やりがいを感じ主体的に業務に取り組むことができる環境整備が重要です。
従業員エンゲージメントを高めるためには、現状の把握を行うと共に、エンゲージメントレベルが高くない社員に対してより適した配置の提案を行うことや、社内のポジションの公募制化、副業などの柔軟な働き方の整備、健康経営の促進等が揚げられています。
5.時間や場所にとらわれない働き方
最後の要素では、事業継続の観点から需要が高まる「働き方」について、リモートワークや業務のデジタル化の推進を行い、時間や場所にとらわれない働き方の実現が重要であるとしています。また、柔軟な働き方にあわせ、マネジメントのあり方や業務プロセスを見直す必要があります。
人的資本経営を実践する上でのポイント
最後に、人的資本経営を実践する上で、押さえておくべきポイントを以下にまとめました。
経営戦略と人材戦略を連動させる
経営戦略の実現には、何よりも人材戦略との連動が不可欠です。経営戦略と連動した人材戦略には、CHRO(最高人事責任者)を策定し、経営の観点から人事戦略の立案・実行を担います。
また、経営課題を整理し、将来進むべき方向に向けて解決するべき問題を共有したうえで人材戦略に反映させる必要があります。人材戦略には施策ごとにKPIを設け、定期的に目標の見直しを行いましょう。
理想と現状のギャップを明確にする
経営環境が激しく変化する現代では、策定した人材戦略と現状のギャップが大きくなりやすいといわれます。経営戦略と人材戦略をしっかりと連動させるには、定期的な現状把握と見直しが重要です。ギャップを明確にすることで、効果的な軌道修正が可能になります。
ギャップを明確にするためには、人事が主導となり社員のスキルや経験を効率的に収集・分析します。タレントマネジメントシステム等を効果的に導入している企業では、ギャップの把握のみならず、その後の人材配置や学び直し等の施策にも活用できます。
ギャップを埋めるための施策を実施する
ギャップを埋めるための施策を実行する際、はじめから完璧を目指さないことが重要です。システム等の活用で人事情報を効率的に把握・分析できる一方で、包括的な施策に着手しようとすると、時間も労力も大きくなってしまいます。まずは、自社の優先度の高い人材戦略に関するギャップを埋めるべく、スモールスタートから取り組みましょう。
また、施策実行の際は、目標達成までの期間を設定します。達成期間があることで、後の効果検証も含め、PDCAを回すことができます。
施策の効果検証をする
施策の効果検証を定期的に行い、取組に反映させましょう。KPI、目標、達成期間の妥当性を検討するとともに、必要に応じて見直します。経営戦略や人材戦略の前提となる経営環境に大きな変化があったときも見直しのタイミングです。
効果検証の際は、経営陣にとって重要なKPIを抽出し、検討するべき項目を一覧にまとめます。優先度の高いKPIを選択することができ、集中して議論を進めることができるようになります。
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人的資本経営に関するまとめ
人的資本経営は、企業価値を判断する指標の一つとして、その重要性が高まっています。変化が激しい時代を生き残るには、人的資本経営の基本を理解し、経営に組み込むことが重要です。
情報開示を戦略的に行い、ステークホルダーからの信頼を得つつ、社員一人ひとりが能力を最大化できる組織作りに取り組みましょう。